*基本データ
場所:ポーラ美術館
行った日:2022/12
展覧会URL⇒ピカソ 青の時代を超えて | 展覧会 | ポーラ美術館 (polamuseum.or.jp)
かなり昔、銀座の画廊で働いていた時に、五反田のPOLA本社で美術館を建設するという話をお聞きしたことがありました。
美術館はこのようになっています。
入口は2Fなので、エスカレーターで1Fへ行きます。
下から見るとこんな感じです。チケットカウンターやレストランがあります。
さらに下りたB1Fはカフェスペースがあり、右側が展示室になっています。
さらに下のB2Fに展示室があります。
ペリクレ・ファッツィーニ《踊り子》1937年
以下、国立西洋美術館からのピカソざんまいです。(画像多数、Wi-Fi 推奨)
パブロ・ピカソ《海辺の母子像》1902年
今回はポーラ美術館とひろしま美術館の収蔵品がメインです。キュビズムの起点とされる《アヴィニヨンの娘たち》が描かれたのは1907年ですが、その後もピカソは様々な表現方法の作品を残しています。
第一次世界大戦後に描かれたおおらかな表現の作品。
パブロ・ピカソ《子牛を連れたパウロ、画家の息子、二歳》1923年
パブロ・ピカソ《赤い枕で眠る女》1932年
こちらは徳島県立近代美術館所蔵。モデルはマリー=テレーズ・ワルテル、丸い感じがそれっぽい。
パブロ・ピカソ《黄色い背景の女》1937年
正面向きの顔と横向きの顔が合体した、キュビズムの解説でよく使用される作品。こちらは東京ステーションギャラリー所蔵。
画題は「静物」ですが、実際は「生物」のような作品。
パブロ・ピカソ《花売り》1937年
南仏で描かれた作品、モデルは詩人ポール・エリュアールの妻ヌッシュ。照り付ける太陽の下で麦わら帽子をかぶり花を売る女性の強烈なイメージが脳に飛び込んできます。
モデルは金髪でポニーテールが特徴だったシルヴェット・ダヴィット。ピカソは金属板で彼女の立体作品を繰り返し制作し、これはそれを平面に置き換えたもの。
パブロ・ピカソ《ラ・ガループの海水浴場》1955年
こちらは東京国立近代美術館所蔵、ピカソの制作を記録した映画「ミステリアス・ピカソ天才の秘密」の中に登場する作品。映像も流されていました。
パブロ・ピカソ《母と子》1959年
1921年に描かれた《母子像》と比較すると実に興味深い。
パブロ・ピカソ《草上の昼食》1959年
マネの作品がもとになっているのがわかります。
パブロ・ピカソ《帽子の女》1962年
カフェスペースからの景色は、冬はこんな感じですが、春になると一面が緑にかわります。この後、レストランにも行き、1番の番号札を取ってシーフードカレーをいただきました。博物館・美術館に来ると併設のレストランやカフェに寄ります。「一般公衆のレクリエーションに資するために必要な事業を行う」ことも博物館の役割なので、それが十分に果たされているかを検証しています。(嘘です、でも寄るのは事実です)
ポーラ美術館には約1万点の収蔵品があり常設展示されています。(入れ替えあり)
ピカソの後だと、少しほっとします。
クロード・モネ《散歩》1875年
クロード・モネ《睡蓮の池》1899年
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《ムーラン・ド・ラ・ガレットにて》1891年
ピエール・オーギュスト・ルノワール《レースの帽子の少女》1891年
情報発信の充実をビジョンに制定しているポーラ美術館は写真撮影可の作品が多数ありますが、自分で撮影した写真でもSNSなどに使ってはダメなものにはキャプションにこのマークがあります。細かい配慮が感じられます。
フィンセント・ファン・ゴッホ《ヴィゲラ運河にかかるグレース橋》1888年
岡田三郎助《あやめの衣》1927年
松本竣介《街》1940年
美術館の周りに遊歩道があり、多くの彫刻作品があります。
板東優《わんこ》1999年
SHIMURAbros《Light Odessey》2017年
最後は駐車場へ出てきます。
何度来ても、やっぱり良いところです、高速を使って埼玉県から来ても十分満足です。企業のオーナーのコレクションを展示する美術館は数多くありますが、そのコンセプトによって雰囲気はずいぶん異なります。