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美術館・博物館・名建築のススメ

その114:茨城県天心記念五浦美術館

*基本データ

場所:北茨城市

行った日:2022/9

美術館URL⇒茨城県天心記念五浦美術館 (ibk.ed.jp)

天心記念五浦美術館は、五浦の地で活躍した岡倉天心横山大観をはじめとする作家たちの業績を顕彰するとともに貴重な資料と優れた作品が鑑賞できる美術館として1997年11月8日に開館。

設計は 内藤 廣 氏。(ご本人がこの美術館について語っておられます⇒内藤 廣 - 建築にできること「茨城県天心記念五浦美術館」:東西アスファルト事業協同組合 (tozai-as.or.jp)

新海竹蔵《岡倉天心肖像》1942年 ブロンズ レリーフ

明治に入ると「神仏分離令」により、仏教排斥運動、廃仏毀釈がおこりますが、それを危惧する人たちにより、明治4年「古器旧物保存方」が布告されました。明治10年代に、岡倉天心は文部省の上司だった九鬼隆一と、アーネスト・フランシスコ・フェノロサとともに日本の仏像・絵画・浮世絵などの保護と新美術育成運動を進めます。明治22年に東京・京都・奈良に帝国博物館が設置され、九鬼はその初代総長になりました)明治20年には、東京藝術大学の前身である東京美術学校が開校、天心は校長になり日本画復興に尽力しました。(最初は西洋画科はありませんでした)

菱田春草《秋景》1902年(向かって左)

横山大観《飛泉》1902年(向かって右)

作者は異なりますが対幅です。ともに朦朧体による微妙な濃淡や色彩によって、奥行きや質感、その場の空気感までもが見事に表現されています。同じ作者だと思ってしまうくらいこのころの2人の画風は似ています。

詳しく見ると《秋景》では猿が水を飲みに来ています。

《飛泉》では瀧風に落ち葉が舞っています、朦朧体による空間表現が素晴らしい。

菱田春草《五浦の月》1907~08年

場所は特定されておらず、大観が「五浦の月」と題をつけたとのことです。月光に照らされた海面は、淡い青と胡粉を使った朦朧体で描き出されています。大観の波の表現に通じるものがあります。

東京美術学校騒動により校長を退いた天心は、1906年11月に日本美術院を五浦の地に移し、天心、菱田春草、下村観山、木村武山が家族と共に移り住みました。

入口の長屋門、さすが茨城大学管理だけあって素っ気ない。しかし、園内はきれいに整備されています。(ちなみに茨城大学は自分の母校ですが、本文とは関係ありません

天心が家族と暮らした家。

天心記念館。

平櫛田中《五浦釣人像》1962年・平山郁夫《美術院血脉図》1965年

ここに飾られている《美術院血脉図》は写真ですが、真ん中には馬に乗った天心が、周りには院展画家の肖像が描かれています。すべてを象徴するような作品です。

六角堂

天心はここから何を見ていたのでしょう。