*基本データ
場所:国立西洋美術館
行った日:2019/10
展覧会 URL ⇒ハプスブルク展|国立西洋美術館 (nmwa.go.jp)
ディエゴ・ベラスケス《青いドレスの王女マルガリータ・テレサ》1659年(部分)
ハプスブルグ家はもともとはスイスの弱小豪族でしたが、ルドルフ1世 が1273年 奇跡的に神聖ローマ帝国(現在のドイツ・オートリア・チェコあたり)の皇帝となり、その後、約650年もの間、王朝としてヨーロッパ史の中心に君臨しました。そして終焉のせまる1914年 にサラエボで発生したハプスブルグ家 の後継者 フェルディナント(オーストリア皇太子) 暗殺事件は第一次世界大戦の引き金になりました。
「高貴な青い血」を守るために近親結婚を繰り返しながら、時には国のために政略結婚させられるハプスブルグ家の女性たち、またハプスブルグ家に嫁いできたがゆえに波乱の人生を送った バイエルン公国のプリンセス エリザベト 。1枚の肖像画の背景にあるものはあまりにも大きく、はかりしれない。
マリー・ルイーズ・エリザベト・ヴィジェ=ルブラン《フランス王妃マリー・アントワネットの肖像》1778年
マリー・アントワネット(オーストリア ハプスブルグ家)は長く対立してきたオーストリアとフランスの友好のため14歳でフランス国王 ルイ16世 に引き渡されました。
この作品の作者ルブランはマリー・アントワネットと同じ歳の女性画家で、特に気に入られ20点以上の肖像画を描いています。オーストリアにいる母親 マリア・テレジア へ近況を伝えるために描かれたもので、左上からの優しい光に照らされたマリー・アントワネットの優美な雰囲気が十分に表現されています。
ヨーゼフ・ホラチェク《薄い青のドレスの皇后エリザベト》1858年)
エリザベトはオーストリア=ハンガリー二重帝国のハプスブルグ家 最後の皇帝 フランツ・ヨーゼフ の妻。嫁姑問題の末の長女の死、息子であり次期皇帝ルドルフの自殺、(その後ヨーゼフは甥であるフェルディナントを後継者に指名しましたが、サラエボにて暗殺)そしてエリザベト自身も1898年に旅先で暗殺されてしまいます。
ディエゴ・ベラスケス《青いドレスの王女マルガリータ・テレサ》1659年
スペイン王 フェリペ4世(スペイン ハプスブルグ家) の娘 マルガリータ・テレサ は母の弟レオポルト1世(オーストリア ハプスブルグ家)つまり叔父と結婚します。15歳で嫁ぎ、5人の子供をもうけますが21歳で5人目の出産後すぐに子供とともに亡くなってしまいます。誕生した子供も長女のみが成人し、他の子供は幼いうちに亡くなりました。
ベラスケスの描いたこの作品の隣にその弟子が画いた緑のドレスを着た同じ構図の作品が並べて展示されていましたが技量の差は歴然としていました。ベラスケスの筆の冴えは桁違いで、画面からはその場にいるような臨場感までもが伝わってきます。