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その93:藝大コレクション展 2022 春の名品探訪 天平の誘惑

*基本データ

場所:東京藝術大学大学美術館

行った日:2022/4

展覧会URL⇒藝大コレクション展 2022 春の名品探訪 天平の誘惑 | 東京藝術大学大学美術館 The University Art Museum, Tokyo University of the Arts (geidai.ac.jp)

関野聖雲《吉祥天立像》1931年(部分)

山本芳翠《猛虎一声》1895年

今日の目的はこれ。山本芳翠は、フォンタネージやラグーザが指導していた1876年開設の国立の教育機関である工部美術学校(1883年廃校)の画学科で学びました。高橋由一の画塾にも通っていました)パリにも留学しましたが印象派ではなく日本の洋画を目指していました。すばらしい迫力!

1887年には文部省管轄の東京美術学校が、岡倉天心フェノロサによって設立されましたが西洋画科はありませんでした。西洋画科が設置されたのは1896年になってからで、最初の教授に選ばれたのは鹿児島出身の黒田清輝でした。(当時の文部省は薩摩藩派閥でした、諸説あります)

狩野芳崖《悲母観音》1888年

195.8×86.1㎝、縦長の画面の中からは聖母子のイメージも感じられます。(掛け軸でもなく屏風でもない観音開きのような構造も祭壇画を意識している?)顔料には西洋絵の具が用いられ、伝統的な日本画の画題に西洋画の要素を融合させた近代日本画の記念碑的な作品と言われています。芳崖は東京美術学校の教官に任命されていましたが《悲母観音》の完成直前に開校を待たずに亡くなります。その後を任された橋本雅邦が絵画科の主任になります。

下村観山《仏誕》1896年

狩野常信《鳳凰図屏風》江戸時代 左隻

狩野常信《鳳凰図屏風》江戸時代 右隻